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文先生の御言 ごはんが愛である!

ごはんが愛である!

こんにちは!荒川青年支部で兄弟姉妹の晩ごはんを作りながら心に残った話、レシピを紹介します。大家族のお母さんのように愛のこもったごはん作り目指してます!

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文先生の御言

文 鮮明 著 『平和を愛する世界人として』  (P.22~23 「第一章 ご飯が愛である」より)

曽祖父が亡くなって私が成長する頃には、豊かだった財産はすべてなくなり、

ただ幾匙かのわずかなご飯を食べて暮らす程度になりました。

それでも、人に食事を振る舞う家風だけは相変わらずで、家族が食べる分がなくても人に先に食べさせました。

おかげで、私がよちよち歩きを始めて最初に学んだことが、まさしく人にご飯を食べさせるということでした。
 
 日本占領期の頃、満州に非難する人々が通った町が平安北道の宣川です。

わが家はちょうど宣川に行く一級道路の近くにありました。

家も土地も日本人に奪われて、生きる手立てを求めて満州に向かった避難民が、わが家の前を通り過ぎていきました。

母は、八道の名地からやって来て家の前を通る人のために、いつでもご飯を作って食べさせました。

乞食がご飯を恵んでくれと言ってきて、すぐにご飯を出せなければ、

祖父がまず自分のお膳をさっと持って行きました。

そのような家庭に生まれたせいか、私も生涯ご飯を食べさせる仕事に力を注いできました。

私には、おなかを空かした人たちにご飯を食べさせる仕事が他のどんなことよりも貴く重要です。

ご飯を食べる時、ご飯を食べられない人がそこにいれば、胸が痛く、喉が詰まって、

スプーンを持つ手がそのまま止まってしまいます。

 十歳のときでした。

大みそかの日になって、村じゅう餅を作るのに大忙しだったのに、

暮らし向きが困難で食べる物にも事欠く村民がいました。

私はその人たちの顔が目に焼きついて離れず、一日中、家の中をぐるぐる回ってどうしようかと悩んだあげく、

米一斗(一斗は十升、約十八リットル)を担いで家を飛び出しました。

家族に気づかれないように米袋を持ち出そうとして、袋に縄を一本結んでおく余裕もありませんでした。

それでも、米袋を肩に担いだまま、つらさも忘れて、

勾配が険しい崖道を二十里(約八キロメートル。十朝鮮里は日本の一里、約四キロメートルに相当する)も跳ねるように駆けていきました。

おなかを空かした人たちを腹いっぱい食べさせることができると思うと、気分が良くて、胸がわくわくしました。




文 鮮明 著 『平和を愛する世界人として』 (P.83「第二章 涙で満たした心の川」より


私はいつも空腹でしたが、いくらおなかが空いても、自分のために食べることはしませんでした。

ごはんを食べる時には、はっきりした理由が無ければならないと考えました。

それで食事のたびに、おなかが空いた理由を自らに問いただしてみました。

「本当に血と汗を流して働いたのか。私の為に働いたのか、それとも公的なことのために働いたのか」

と尋ねてみました。ご飯を前にするごとに、「おまえを食べて、昨日よりもっと輝いて、公的なことに取り組もう」

と言うと、ご飯が私を見て、笑いながら喜んだのです。』

                
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